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子どもの頃から馴染んだ世界 |
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日本製のゴルフクラブの製造が始まったのは昭和初期のことで、刀鍛冶の技術を持つ姫路の職人にアイアンヘッド製造の話が持ち込まれ、地場に根づくようになったとされる。 |
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昭和も40年代に入ると高度経済成長とともにゴルフ人口も急増し、業界は最盛期を迎え、多くの職人たちが製造に携わった。 |
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キャビティバックの生みの親 |
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その開発した1例が今ではアイアンヘッド形状の主流となっているキャビティバック。 |
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金槌の芯で釘を打つのは難しいが、鍋の底で釘を打てば芯を分散させられるので釘は少しずつでも中に入っていく。 |
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ドライバーのカーボンヘッドを考えたのも荒深さん親子。それまではウッドヘッドで、パーシモンという木を素材にしていたが、木だと割れやすい。そこでプラスチック形状のカーボンヘッドを世に送り出した。その後、ヘッド素材はメタルやチタンに移っていったが、二人が開発したカーボンヘッドがゴルフの一時代を築いたことは間違いない。 |
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「キャビティバックを出した後、まわりから何で特許を取っておかなかったんだとよく言われましたが、オヤジは特許を取っていたら(キャビティバックは)世の中に広がっていなかった。オープンにしたから広がったんだと言っていました。根が職人ですから、自分が儲けることよりも、自分が考え、創り出したんだという満足だけで納得できたんでしょう」 |
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ゴルフクラブ職人の最後の世代 |
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新しい素材や技術がどんどん生まれ、ゴルフクラブの生産はほとんどが自動化された機械の手に移っている。 |
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職人に残された仕事は機械ではできない緻密な研磨や鋳造生産に必要なマスター型を作ること、さらにはプロゴルファーからの特注などで、限られた仕事ながらも細々と続いてきたが、これからはますます先は見えないと荒深さんは言う。 |
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「コンピュータの進歩で、職人しか作れなかった細かいRの形状も機械がやってしまうし、自分のフィーリングにぴったりくるクラブを求めて特注してきたプロゴルファーも、若い人が増えてフィーリングよりもデザインや色を大切にするようになってきた。寂しいけれど、これも時の流れなんでしょうね」と諦めを滲ませる。 |
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お客さんの名前や屋号をブランドにしたオンリーワンのクラブを提供したり、ネットショッピングなどを通して自社製品の素晴らしさを訴えたり、同じ危機感を持つ仲間たちと業界の振興を図るべく行政に働きかけたりもしている。 |
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