東邦ゴルフ
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ゴルフクラブ職人


時代に先がけたゴルフクラブのパイオニア


子どもの頃から馴染んだ世界

日本製のゴルフクラブの製造が始まったのは昭和初期のことで、刀鍛冶の技術を持つ姫路の職人にアイアンヘッド製造の話が持ち込まれ、地場に根づくようになったとされる。

しかし、日中戦争とそれに続く第2次世界大戦中はゴルフクラブの製造・販売が全面的に禁止され、多くの業者が転業を余儀なくされたが、戦後復活。
昭和も40年代に入ると高度経済成長とともにゴルフ人口も急増し、業界は最盛期を迎え、多くの職人たちが製造に携わった。

荒深さんの父、稔さんもその一人で、昭和41年に東邦ゴルフを設立してアイアンヘッド作りを始めた。
注文に製造が追いつかない状況で、荒深さんも中学・高校時代から友人を誘ってアルバイトとして働いていたという。
今でこそゴルフクラブの製造はほとんどが機械化されてしまっているが、その頃はまだ業界も「職人の世界」で、荒深さんもベテラン職人にポイントを教わりながらドリルでヘッドに穴をあける作業などを「楽しくやっていた」という。
その後、20歳の時に家業を継ぐべく東邦ゴルフに入社。
父親のもとで仕事を覚えていったそうで、二人三脚で画期的な新商品も開発。

東邦ゴルフを・知る人ぞ知る・メーカーに育てていった。


キャビティバックの生みの親

その開発した1例が今ではアイアンヘッド形状の主流となっているキャビティバック。

簡単に言うとヘッドの裏側に凹みをつけ、重心をヘッドの外側に分散させることによってスイートスポットを広げたアイアンのことだが、これは荒深さん親子のアイデア。
金槌の芯で釘を打つのは難しいが、鍋の底で釘を打てば芯を分散させられるので釘は少しずつでも中に入っていく。
これをヒントに「鍋型」のヘッドを考案し、内側がへこんだイメージからキャビティバックと名づけたという。

ドライバーのカーボンヘッドを考えたのも荒深さん親子。それまではウッドヘッドで、パーシモンという木を素材にしていたが、木だと割れやすい。そこでプラスチック形状のカーボンヘッドを世に送り出した。その後、ヘッド素材はメタルやチタンに移っていったが、二人が開発したカーボンヘッドがゴルフの一時代を築いたことは間違いない。
「キャビティバックを出した後、まわりから何で特許を取っておかなかったんだとよく言われましたが、オヤジは特許を取っていたら(キャビティバックは)世の中に広がっていなかった。オープンにしたから広がったんだと言っていました。根が職人ですから、自分が儲けることよりも、自分が考え、創り出したんだという満足だけで納得できたんでしょう」
荒深さんはそう笑うが、ゴルフクラブに限らず、日本の技術立国を支えてきたのは、こうした職人さんたちだったんだということを改めて思い知る。


ゴルフクラブ職人の最後の世代

新しい素材や技術がどんどん生まれ、ゴルフクラブの生産はほとんどが自動化された機械の手に移っている。

「僕らがゴルフクラブ職人の最後の世代」と荒深さんは話すが、刀鍛冶の技術から生まれた鍛造ヘッドの生産は、機械による鋳造に取って代わられ、製造の場も多くが海外に移った。
職人に残された仕事は機械ではできない緻密な研磨や鋳造生産に必要なマスター型を作ること、さらにはプロゴルファーからの特注などで、限られた仕事ながらも細々と続いてきたが、これからはますます先は見えないと荒深さんは言う。

「コンピュータの進歩で、職人しか作れなかった細かいRの形状も機械がやってしまうし、自分のフィーリングにぴったりくるクラブを求めて特注してきたプロゴルファーも、若い人が増えてフィーリングよりもデザインや色を大切にするようになってきた。寂しいけれど、これも時の流れなんでしょうね」と諦めを滲ませる。
もちろん、かといって手をこまねいているわけではない。
お客さんの名前や屋号をブランドにしたオンリーワンのクラブを提供したり、ネットショッピングなどを通して自社製品の素晴らしさを訴えたり、同じ危機感を持つ仲間たちと業界の振興を図るべく行政に働きかけたりもしている。

確かに客観的には厳しいとしか言いようのない世界だが、キャビティバックやカーボンヘッドを考案した荒深さんなら、これ撃ち破る秘策があるのではないか。

製造の匠、荒深泰男さんに大いに期待したい。



 
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